喧嘩をすることの重要性。友達とはどんどんぶつかり合おう

スポンサーリンク

喧嘩をすることの重要性。友達とはどんどんぶつかり合え

10

[adSense]

自分に圧倒的に欠落しているものを昨今気が付きました。

それは、「相手の間違いを指摘すること」です。

自分の意見を主張することにはなれていたのですが、相手の間違いを指摘したり、勘違いを指摘することができていませんでした。

具体的なエピソードをあげます。

A君、と僕は2人であるイベントを運営していました。

先日、自分たちの後継者を探しを兼ねて、1人の後輩と酒を交わしたのです。

その時、彼はどうしてなのか「自慢話」ばかりするのでした。そしてこれがこの時、あまりにひどすぎた。

”俺は同期で一番優秀で、だから配属もトップしか集まらないところにされた”

”配属先じゃ俺の働きに皆目を剥いて驚いている”

これくらいの自慢はまだ聞いていて楽しいです。

しかし、

”合コンで東大のやつを差し置いて一番人気だった”

”配属先の女の先輩に好かれすぎて、周りから嫉妬の声がうるさい”

どんどんと、ネタがしょうもなくなっていきます。

元々彼は自己愛が激しい方で、自慢話が多い方なのですが、いつもの場合だと聞いている方も刺激されるような熱い話が多いのが彼の自慢話です。

だから僕は彼の話を聞いているのはとても好きだった。

…いつもなら。

この時はどうもおかしかった。

なんというか、不安で仕方がない人間が自分を大きく見せようとしているような自慢話がおおかった、というのでしょうか。

とにかく聞いていて哀れでした。

僕は、少々の自慢話は相手の期待や信用を勝ち取るのに必要だと思います。
(過剰な謙遜や自慢は仕事のできない人の特徴だと思います。)

だから、後輩くんが彼の話を聞いて憧れてくれれば、後継者として話が運びやすいかなとも思っていたのです。

僕はA君がそういった目的が分かっていて自慢話をしているのだと思っていました。

しかし、自慢話の内容を鑑みるに、ただの自慢話でしかありません。

後輩君は最初こそ興奮気味に相槌を打っていたものの、後半に入るにつれて疲れが出てきてしまっていました。

最後の方は、疲れが滲みでた「すごいっすね」しか出てこなくなっていたのです。

完全にA君の信用は後輩君の中から消えていました。

飲み会終了後。後輩君は帰り、僕とA君は2人で駅にいました。

そこでA君は僕に驚くべき一言を言いました。

「なんか、後輩君疲れてたね。あんなんじゃ入社後うまくいかないよ」(※後輩君は学生)

僕はこの時、正直はらわたが煮えくりかえるような思いでした。

お前のせいで後輩君の信用がなくなったじゃないか、そんなこともきづけないのか。

これは一言言ってやらなくてはいけないかも。そう思うものの、僕はその一言が出ませんでした。

簡潔にまとめるつもりが長くなってしまいました。

実は僕は、「他人に注意」をすることにかなり慎重です。

なぜなら、注意するというのは大きな責任が伴う行為だと思っているからです。

大げさに言えば、注意するとは相手の人生や考え方に手をいれることだとも思っているからです。

だから僕が注意できるのは、家族か恋人だけです。

家族や恋人は自分の人生を左右する存在です。彼らが誤った時には注意しないといけない責任が僕にはあると考えています。

部活の後輩がミスをしたり、誤ったことをするときも僕は叱ります。これも同じく彼らの行動に対して責任を持たないといけないと思っているからです。

ただ、僕はここまで恵まれていたこともあり、積極的に注意しなくてはいけないような後輩がいたことがなかったのです。(高校では部活には少しだけしか入っていませんでしたし)

さて、今回のA君の場合はなぜ僕は怒ることができなかったのでしょう。

それは、僕と彼が対等の関係だからです。

彼の行動規範に対して、僕は口を出す権利がないと思っているからです。

彼は僕の部下ではないし、後輩でもない。

同僚というよりか、取引先相手に近いような存在です。

だから、僕が自分の中で定めている「行動規範」では怒ったり叱ったりすることはできないような存在なのです。

ただ、あの瞬間に僕は絶対に彼に対して何かを言うべきでした。

僕はこの自分の行動規範を書き換えなくてはいけないなと感じています。

嫌いって本当は「好き」なんじゃないですか?

少し話が変わりますが、僕は「あいつがウザい」といったような感情が他人にあまり湧きません。

よく、「◯◯さんのこういうところ本当に嫌い」みたいなことをいう人がいますが、ちょっと理解し難いです。

よく、そんな人に「嫌い」という熱烈な感情を抱けるな、と思います。

  • 「◯◯さんは八方美人だ」→だから「嫌い」
  • 「××さんはすぐ手を抜く」→だから「嫌い」

こんな風に、「◯◯。だから。嫌い」という図式を僕は作れないのです。

僕は、

「◯◯さんはすぐ陰口を言うよねー」
「××さんはいつも不満ばかりいうよねー」

で、終わりです。

だから、嫌いだとか、話したくないだとかは思わないです。この人面倒くさくて困ったなぁ、ことはありますけど。

これは「嫌い」という言葉の定義の話なんでしょうか。

「嫌い」って辞書で調べても「うこと」「なこと」って出ます。

辞書なのに同じ言葉を使うんじゃないよ。ちゃんと仕事しろ(笑)。

具体的な行動に置き換えるなら、「そのモノ・コト・ヒトから離れること」を指すのでしょうか。

でも、僕の知っている人たちが「あのひと嫌い」と口にするときって、ひたすらその人の悪口を言っているような気がするので、少なくとも悪口を言っているヒトの頭の中からは「嫌いな人」はずっと離れていませんよね。

だから僕が思うに、みんな「嫌い」って言っている人のことを本当は好きなんじゃないんですか?

好きな人って頭から離れないじゃないですか。

嫌いな人も頭から離れないわけですし。

嫌よ嫌よも好きのうち。

その点、僕は面倒くさい人たちに出会った時の反応は、もっと冷たいです。

その人達に対する興味が完全になくなります。

嫌いとか思いません。話したくないとも思いません。ただ、興味が無い。無です。

話がそれました。でもちょっと次からの話に関わりがあります。

2週間以上の知り合いには怒ってもいいってことにします

最初の方に僕は「相手を叱るということは相手の人生の責任を持つということ」みたいなことを書きました。(※これは僕の中のルールの話で、みんなそう考えろとか思ってないです)

だから、軽い友達やちょっとした付き合いのヒトに対して「怒る・叱る」ということを僕はしません。

でも、このルールだと困ってしまうということが最近判明しました。

だからちょっとこの自分ルールを変えようと思います。

これから僕は、「知り合ってから2週間以上のヒトに対して責任を持つ人」になることを決心しました。

このルールならば、先に出した例のAくんにだって僕は怒れます。

彼とは4年位の付き合いですから。

2週間以上も付き合う人というのは、だいたい大事な人だと思います。

「人に対して責任をもつ」の意味

ここまで書いていたことを読み返していて、気が付きました。

「人に対して責任をもつ」ってあまり聞かない表現ですね。僕だけの表現かもしれないので説明します。

まずは具体例から。

例えば、こういう人いませんか?

「地球の裏のアフリカでは、難民が沢山いる!その人達を考えると食事は残せない!!」

主張はもっともです。これがウザいとかどうとか、そういう話を今したいわけではないです。

こういった類のセリフ(※特別に↑このセリフを指しているわけではない。)を耳にする時に僕が思うこと、それは

「俺、そんな遠くの人のことまで責任持てないよ…」

です。あくまでこの類のセリフってことですよ。けっこうこの辺りの繊細な話題は揚げ足とられるんでエクスキューズ(言い訳)が増えます。読みづらくなります。すみません。

自分の家族や、親族、奥さんや将来の子供の面倒を考えるので精一杯なのに、どうしてそんな遠くの知らない人の責任を持てるのでしょう…

申し訳ないですが僕には遠くの国の何万という人たちの空腹事情まで責任がもてませんし、その力があるとも思えません。

「◯◯反対!××危険!日本国民、世界を守るために△しよう!」

汚いヒッピーみたいな格好をしたオッサン連中が、大声で渋谷を練り歩いているのを見たことがあります。

お前、平日の昼間から何してんの?

話を聞いてみたら、無職(フリーター)だという。

家族もなし。

あぁ、そうか。君は暇だから日本と地球を守りたいわけか。
誰かのケツ(責任)持って生きてないんだもんな。

僕は将来の自分と、奥さんとその子供を生かすのに必死なんだよね。

「くだらないテレビを見るのを止めて、世界の凄惨な事実を知ろう!」

とか言ってくる人います。

余計なお世話だよ。こっちは忙しくて、たまにはくだらないテレビみないとやってらんないだよ、と思う人もいるんじゃないでしょうか。

もちろん、仕事も持ちながら、ご家族や、部下、社員、その他いろいろな人の面倒を見ながら(つまり責任を持ちながら)、その上でこういった政治活動にまで参加される方もいらっしゃいます。(※定番のエクスキューズ)

家族があるから、仕事があるから偉いっていいたいワケじゃない。

ただ、家族持ち仕事持ちの人たちは、色々な責任をもって生きているんです。そういう人たちに対して考えなしに「日本の将来をウンタラカンタラ」と講釈述べるヒッピーを僕は本気で軽蔑します。

「◯◯反対!」という意見があるなら、じゃあ政治家になってくれよ。その意見に対して責任を持つ立場になってくれよ。そう思います。

[adSense]

具体例おわり。

ここから抽象的に説明します。

つまり僕の言っている「人に対して責任をもつ」とは

「ある他人の”失敗”や”被害”や”負債”や”マイナス”を【補填】【管理】【防衛】する立場に立つこと」という意味です。

A君は、後輩君の僕らに対する信頼を失わせました。

僕はAくんに対して責任を持つならば、かれを叱って二度とこのようなことを起こさないようにしなければいけません。また後輩君のフォローもするべきです。

もっと友達とぶつかりあうべきなんじゃないだろうか

僕は、友達と喧嘩をすることをずっと避けてきました。

嫌だと思ったら離れる。それが平和的で良きことだと考えていたのです。

たしかに、平和的ですが、これはちょっと無責任だったんじゃないかと思います。

僕の友人に、すぐ喧嘩する人がいます。

「あいつのここが気に入らないから言ってやったんだよ」

と彼はいつも言います。

学校では最初ウザがられていたけど、いつのまにか彼は皆に理解されます。

それはやはり、彼がただの自己中心的な人ではなくて、周りの人達を思ってモノを言う男だとみんなが理解したからでしょう。

彼は、自分が気持ちよくなるためだけにモノを言う嫌な奴ではないんです。

僕が周りに対して怒ったり、イライラしないのは、

「あーこいつここがダメだぁ…俺には関係ないけど」

と無意識に思っていたからだと思います。

これではダメなんです。

僕が成長するためには、周りをよりよくするためにはもっともっと他人とぶつからないとダメなんです。

ここまで書いてみると、僕が大ファンの「本田圭佑」ってこういう人ですよね。イメージですけど。先輩から後輩、コーチや監督にまで本田圭佑は自分に責任があると思ってるんじゃないでしょうか。

いや、それどころか最近の活動を見ていると、日本全体、世界全体のサッカーの責任を負っているような節があります。

40歳までに1万人の面倒が見れるような人間に僕はなりたいです。

[adSense]

スポンサーリンク

コメント

  1. デミトリ より:

    私も人に怒ったり間違えを指摘したりする事が苦手な人間です。人間関係を鑑みて。
    後々ギクシャクしたくないからです。
    しかし、ネットでは違います。違うと思う事は違う。嫌いな事は嫌いと言えます。
    大半は匿名だし相手とギクシャクしてもPCの電源を切れば一度は遮断出来る世界だから。
    筒井さんの言うところの、無責任で居られるから。でしょうね。
    現実世界、とりわけ仕事関係だと一度信用を失うと再構築が大変ですから
    発言も必然的に慎重になりがちで、これってネット番長みたいで
    情けない事の様に思われがちですが、自分ではそんなに悲観的には思って居ません。
    私も喧嘩すると言うのは大げさですが、他人に意見する事はとても重要だと思って居ます。
    それは相手の為ではありません、一番は自分の為に次に相手の為になればいい。
    他人に意見を言う、それれは相手の為に言う。つい人はそう思いがちですが
    本当にそうでしょうか。いやもちろんそういった側面ももちろんあるのですが
    本当は自分の価値観が正しいと主張したいだけの場合がほとんどです。
    まずはそこを謙虚になって感じる必要があるのではないかと思います。

    早速少し厳しい事を言うかも知れませんが・・・・。
    筒井さんの出した例題で言うと、A君の後輩に向けた自慢話が
    注意すべき間違えだと言う事でしょうが、本当にそうでしょうか。
    自慢話をする事が本当にいけないことでしょうか。
    実際にA君の自慢話を聞かされたら、赤の他人の私でもつまらなかった事は
    容易に想像がつくのですが、だからと言ってA君がいけない事をしたと思うのは
    私や、筒井さんや、もしかすると後輩の価値観の問題で有って
    他人から注意されなければならない程間違えた事をしていると言えるでしょうか?
    とは言え「後継者が必要だったのに後輩の信頼を失ったじゃないか!」
    確かにそうかもしれません。しかし、その酒の席では筒井さんも参加されて居たわけで
    A君の失敗を責める前に自分の責任はどうでしょうか?
    自分の発言次第ではいくらでも方向修正できた可能性は無かったのでしょうか?
    また、その場はそうだったとしても、後輩に後からフォローする事だって
    何なら今からどうにか信頼回復する手段は有るのではないでしょうか。

    相手に対して明らかに間違えて居ると言える事があるとするなら
    予め決められたルールを破った時ぐらいな物であとは個性と価値観の問題なのです。
    価値観やモラルと言った概念上の問題に正しさの線を引くことは困難です。
    だからといって、自分の意見を言ってはいけないと言っているのではなく
    自分には自分の正しさがあるように、A君にはA君の正しさがあり
    後輩には後輩の。人それぞれ正しさなんて置かれた立場で変わるものですから
    それら互いの正しい意見同士を自由に戦わせて、
    一つの結論にたどり着く事があるとするならそれが民主主義と言う事であり、
    議論や意見をぶつけ合う前から正しい事など何も決まって居ないと言う
    謙虚さが最初に必要ではないでしょうか。
    もちろん共感できない相手の価値観に従う必要はありませんが
    自分とは違う考え方もまず認めなければ民主主義ではありません。

    ちなみに筒井さんは「僕が注意できるのは、家族か恋人だけです」と述べて居ますが
    私は家族にも恋人(正確には嫁ですが)にも注意なんて出来ません。
    言えば倍替えしで自分の身に返って来ますからね(笑)
    それは妥協と言えば聞こえが悪いですが折り合いと言えば聞こえが良いです。
    折り合いを付けられるのも、相手を認めて居るからこそ。ですね。
    長々と失礼しました。

コメントをどうぞ

メールアドレスが公開されることはありません。


:表示されているコードを入力してください。